『母の日』の起源とは?
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発した。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる[1]。
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた[2]。
引用:wikipedia
そして、日本でははじめ、(昭和6年)には皇后の誕生日である3月6日が母の日とされていました。
戦後になり、5月の第二週目の日曜日が母の日であると定められました。
しかし、まだその当時は国民的行事ではありませんでした。
昭和11年に森永製菓は各団体に協力を呼びかけ『母の日中央委員会』を設立した。
翌年には森永・母の日大会などを開催しました。
そこでは20万もの母親を無料で招待しました。
それから、徐々に国民的行事になっていきました。
カーネーションを贈るのが一般的
母の日にはカーネーションを贈るのが一般的です。
基本的に
白いカーネーションは、亡くなった母に贈るものです。
そして母が元気な場合には
赤いカーネーションを贈る風習があります。
花言葉的には
赤いカーネーションは
母の愛、愛を感じる
などがあります。
ピンクには
感謝、上品、暖かい心
黄色には
軽蔑、嫉妬
オレンジには
純粋な愛、あなたを熱愛します。
とどちらかというと恋人向けです。
白は
尊敬、私の愛情は生きている
ほかにもさまざまな色がありますが
基本的には赤、ピンクでしょう。
ではありがとうございました。
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